ITと哲学と

IT系エンジニアによる技術と哲学のお話。

ソクラテスに入門してみた

前回、フランクリン自伝を読んだ際に、ソクラテスという哲学者に興味を持ち、関連本を何冊か読んでみた。 哲学書のイメージと違ってだいぶ読みやすかったので、哲学書読んだことない自分でもすらすら読めました。

読む前

読む前に持っていたソクラテスのイメージは、誰彼構わず「〇〇とは何か?〇〇とは何か?」と繰り返し問い詰め、相手が答えに詰まったら「無知の知!」と言って優越感に浸る、偏屈なおじさんというものだった。どこからそのようなイメージを抱いたのかは忘れてしまいましたが、それが私の先入観だった。

そんな中、フランクリン自伝には、ソクラテスを見習って謙虚な徳を身につけたいと書かれており、興味を持つことになった。

ソクラテスの基礎知識

ソクラテスは古代アテナイの哲学者で、西洋哲学の祖とされています。彼自身に著作はなく、死後に弟子たちが自身の著作の中でソクラテスを登場人物として登場させた。ソクラテスが登場人物として出てくる著作は「ソクラテス文学」と呼ばれる一つのジャンルになっている。

今回読んだのは、プラトンによる「ソクラテスの弁明」とクセノフォンによる「ソクラテスの思い出」という2冊。

ソクラテス文学には、弟子たちが自身の考えをソクラテスに代弁させるような構造のものも多く、歴史的事実に基づかないものもありますが、プラトンの「ソクラテスの弁明」は、ソクラテス本人像に近いことが記載されているとされているようだ。一方、クセノフォンの「ソクラテスの思い出」については、歴史的なタイムラインの整合性を考えると創作であるとの見方が強いようだ。

2冊読んだ感想

プラトンによるソクラテスの弁明に出てくるソクラテスは、読む前のイメージとはだいぶ異なり、なるほど謙虚な人だと感じた。

事前に抱いていた「ひたすら問い詰めていきドヤ顔勝利宣言」というのは偏見だった。問い詰めていく行為は、他人の無知を暴き貶めることが目的ではなく、ソクラテス自身の自己吟味が目的であり、自己の探究を目的とした活動であることがよくわかった。アテナイの神にソクラテスが一番賢いと言われても、それを額面通り受け取らず、そこを出発点に神の真意を探ろうという思考の流れは、謙虚な姿勢でなければたどることができないと感じる。

一方、クセノフォンによるソクラテスの思い出は少し雰囲気が違っていて、ソクラテスがさまざまな人との対話を通して気づきを与える様を描いた短編集になっている。ここでのソクラテスは、他者の教育のために対話を活用しているように見える。そのため、自己吟味として問答するといった構造ではないように見受けられる。

ソクラテスの思い出は、弁明ではなく、市井の人とソクラテスの対話がたくさん詰まっているので、ソクラテスの対話を味わうという楽しみ方ができるのは良かった。

フランクリンは、ソクラテス式問答をこのソクラテスの思い出から学んだと自伝に書いていた。この問答方法は確かに説得力があると思うが、現実で活用するためには、事前にしっかりと頭の中で流れを作っておかないと難しいように感じる。人との対話にこれを活用する前に、自分の中で考えを進めるにあたり、活用してみたら良いのかもしれない。

個人的には、プラトンソクラテスが好み。

ソクラテスの弁明

この本で語られている大きなポイントは「知る」と「思う」を明確に使い分けようということだと思う。

知っていると思い込んだものは改めて学ぼうとは思わない。そういう意味では知らないことを知っていると思い込むとそれ以上成長につながらない。 なので、知っていると思い込むことは厳に慎まなくてはいけないし、自分はまだまだ物事を知らないと思う謙虚さが大事なんだと思う。

アテナイの神が「ソクラテスが一番賢い」と言われたところからソクラテスの自己探究は始まるわけだが、そのゴールは「人はみな神に比べたら無知である。人はみなそれを思うことすらしないが、ソクラテスはそれをそう思っているので、その分だけはまだマシである」という意味だったのではないか、という考えに行き着く。ここにもソクラテスの謙譲さが出ていると感じ、ソクラテスを好きになった。

自分の信念を曲げ、行動を改めることで死刑判決を避けることもできたが、ソクラテスはそれをしなかった。 ソクラテスは、信念を曲げてまで死刑を避けるべきか?という問いに対して、そもそも死んだことがないのに死を避けるべき恐ろしいことであると決めつけることはおかしいと考える。 知りもしないのに知ったように思い込んで、死を恐ろしいことと決めつけるのは間違っているという考え方であり、ソクラテスの哲学が詰まった行動だと感じた。

ソクラテスの思い出

この本は短編集なので気になったポイントをいくつかメモしておく。

自分を鍛える

身体を鍛えないものは、身体を使う仕事ができない。それと同じで魂を鍛えないものは魂を使う仕事ができない。 魂を鍛えることにもっと精進することで良い仕事が残せる。

自分を知ることで最大の利益を手にする

買う馬を選ぶときに、その馬の名前だけを知っていればその馬のことを理解していると考えるのか? そうではないはず。買う馬を吟味するときはその馬の能力まで知る必要がある。

自分を知るというのも同様で、自分の名前だけ知っていれば良いわけではない。自分の能力まで含めて知ることが大事。

何かに優れていると思われたいならば

実際にそれに優れることが一番の近道であり、なんか策をこねて優れた人に思われたところでいつかはボロが出る。 実際に優れるためには、常にその能力に磨きをかけて、優れた人に学ぶことが求められる。