ITと哲学と

IT系エンジニアによる技術と哲学のお話。

コロナ禍に中国長期出張に行った話 前編

コロナ禍のこの時期に、中国長期出張に行ってきたので思い出をまとめておこうと思います。

長期の海外生活自体も初めてでしたしコロナ禍のこの時期の海外渡航履歴ということで結構珍しい体験だったと思うので、未来の自分が思い出して懐かしむためにメモを残しておこうという魂胆です。

期間は2021年の11月5日から2022年1月30日までの87日間で、中国の上海と河南省鄭州市というところに行ってきました。

出張行くまでの話

コロナ禍が始まる前から仕事の都合で中国に長期出張する予定だったのですが、コロナ禍の影響を受けてずっと叶わずにいました。 国境が開いたらすぐ行けるように準備はしており、何回かチャンスらしきものはありましたがチャレンジしかけては行けずという状況が続いていました。

仕事で外国に行く場合は大抵ビザが必要になると思いますが、中国渡航の場合でも同様に必要でした。 コロナの状況によって取得のハードルは変わってくるようですが、私がビザを取った時は中国にある企業からの招聘状の他に省政府からの招聘状というものが必要でした。なんとか現地の皆さんにご協力いただき、各招聘状を取得することができました。

それらの書類を持って代理店にビザ取得の手続きをしてもらい、大阪心斎橋にあるビザセンターに出向いて指紋採取などを行なって、その後一週間くらいで受領できました。 すでに出張開始期日が近づいていたので、ビザが手元に来るまでは気が休まらない日々を過ごしていました。

渡航前日

今はどうなっているかわかりませんが、当時はいくつか必要な事前手続きがありました。 まず、Health Declaration Certificateの健康コードというものがあります。 これは日本を出国するために必要な書類で、搭乗の前日に申請する必要があります。これを提出するにあたり、 (記憶が定かではないが確か)2日以内のPCR検査陰性証明が必要になります。さらにPCR検査陰性証明は中国の指定するフォーマットのものが必要で、どこでも受けられるというものではありません。 私が渡航した時は羽田空港で中国指定のフォーマットでPCR検査が受けられたため、そちらで前日に受診しました。

次に、中国に入国するために必要な中国税出入国健康申告というものもあります。 これは中国に入国する時刻の24時間前から飛行機乗る前までに申請する必要がありました。

これらの各種タイミングは一個ミスするとリカバリーできない可能性があるので、申請作業を行う時間をカレンダーに登録し、漏れのないように対応をしました。

なお、空港ではスーツを着たおじさんがここら辺の手続きができていなかったらしく職員の人と手元のスマホでポチポチ作業をしていました。あのおじさん間に合ったんだろうか。。。

渡航当日

海浦東空港に到着しました。CAさんは感染症対策で白づくめです。空港スタッフの方々も同様です。 この時点で「あ、なんかすごいことになってる」感が漂ってきます。

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渡航者は目的地別にまとめられてバスで隔離先ホテルまで護送されるのですが、人が十分に集まってから輸送される関係でめっちゃ待たされました。バスターミナルみたいなところで待つことになるので防寒対策は必須です。それと途中でトイレに行けないので、飛行機から降りる前に飛行機内でトイレ行っておくことをお勧めします。私は飛行機の中で近くに座った人たちがそんな会話をしていたのを耳に挟んだのでトイレに行っておくことができました。

バスを待っている間に、パスポートを職員の人に渡してなにやら処理をしてもらいますが、この時点ではパスポートは帰って来ません。

護送中の移動はこんな感じです。

f:id:masamasah:20220321145533p:plain ペルソナのベルベットルームかな?という驚きの青さでした。 この状態で30分から45分くらい移動します。

外は真っ暗、パスポートは預けた状態、行き先・移動時間が告げられていない外国のバスはちょっと怖かったのを覚えています。 ただ、一緒にバスに乗っている人たちは日本人が多いので心強さはありました。

程なくバスは停車し、さらに30分ほど待たされたのちにパスポートが返却されホテルについたことがわかりました。

降りたらこんな感じのいい感じのホテルでした。 後から調べたところ、上海のディスニーランドにかなり近いところだったようです。 f:id:masamasah:20220321150359p:plain

ホテルに入って、既に0時を超えており疲労困憊ではありましたが「やっと休める。。」と力を抜くことができました。同時に感染対策のため日本の空港からずっと何も食べていないことに気がついてお腹が減って来ました。

もう0時超えてるし夕飯は出ないかもなと思っていた矢先、部屋の扉がノックされました。 扉を開けてみると、扉の外にはこんなお弁当が。

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水餃子です。中国きたんだなぁという思いが一気に強まったわけですが、もしこれから当面3食これだったら超辛い。。と軽く絶望を覚えました。味は普通に美味しいんですが、水餃子のみという食事内容では飽きてしまいます。お弁当のケース3セクションに分けられてるんだから別のものを入れて欲しい

隔離ホテルでは感染対策のため、白づくめの職員さんがお弁当や配給などを部屋のすぐ外にある小机に置いて受け渡しをしてくれます。地べたに置かないで小机を用意してくれるところに温もりを感じました。 隔離ホテルは2ヶ所お世話になりましたが2ヶ所とも同じシステムだったので決まった方式なんだろうと思います。

ここから2週間の隔離生活が始まりました。長くなったので続く。